引越し以前(〜2002年12月)の西東京市内での報告です。
現在は練馬区内で自立生活を続けています。

  『自立生活 Q&A』もご覧下さい。

                                   【この文章は、97年11月に作成しました】
 97年5月より東京都保谷市内(現在の西東京市)で自立生活を初めました。6畳・4.5畳(介護者用)・台所の住宅街の古いアパートですが、浴室もユニットではなく以外と広いです。
 18歳で頸髄損傷(四肢の完全麻痺)になり31歳で初めての独立です。

 1日・1週間・1ヵ月が飛ぶように過ぎ、自分でも信じられないスピードで時間がたっている感じで、昨年5月に申請した制度や手当が、今(年末)になって認定されるものもあり「ホッ」としています。
 
 私の介助体制ですが自立生活と言うと、どうしても「大学の前や駅前で介護者ボランティアのビラを配り、明日の介護者を見つけるのに苦労する。」と言う印象ですが、私の場合ボランティアではなく時給で契約した介護者(介護経験・性別問わず)で、12時間交代のほぼ24時間体制をとっています。ですから月末になると介護者の給料(東京都や保谷市から支給)の計算を自分の責任でしなくてはなりません。そして介護者の能力・性格・得意分野(家事・書類整理・外出時の介護など)を見極め的確に指示しないと自分の思った通りには動いてもらえません。 
 
そのほか、健康管理など食事の面でも気を使います。好きな物ばかりも食べてはいられず栄養のバランスも一応は考えています。療護施設入居中は「まずくてくえねー」なんて言っていた私ですが、今では介護者と共にスーパーに出掛け毎日の献立を考えています。毎日大変なことばかりですが、療護施設での大変と今の大変はだいぶ違う楽しい大変さです。

 6月より週2回の訪問看護(排便・膀胱洗浄・洗髪・清式・全身管理など)と週1回の巡回入浴サービスを受けています。
 住宅改造が終わりフローリング玄関スロープ天井走行式リフターで生活もスムーズになりました。

 自立生活を始めて改めて感じるのは、体調が少々悪くても暑くても寒くても必要があれば、買い物や銀行、市役所に行かなくてはならず、体調の維持や日常生活に「責任」の重さも痛感しています。
 
 朝、新聞配達の音で目覚め、昼は小学校のチャイムが聞こえ、夜中は酔っぱらいの声や救急車のサイレンが鳴り響く。夜9時には電気の消える病院や療護施設での生活が長かっただけに、生活の何気ないひとつひとつに感動している毎日です。

 今だから言えますが、市役所の皆さんは「私が保谷市でひとり暮らしを始める」と初めて市役所に行ったとき「こんな重度な頸髄損傷者が地域で暮らせるのか?」心配だったそうです。私の場合療護施設入所中だったために、十分な準備をせずに施設を飛び出して来てしまったので、皆さんに大変な迷惑をかけてしまいました。でも、市役所の皆さんを始め、保健婦、訪問看護ステーション、巡回入浴サービス、障害者センターなど皆さんとても良くバックアップしてくれました。自立生活はやはり自分だけの力だけで成り立っているのではないと実感しています。

 これから色々大変ですが体調を崩さず毎日の生活を組み立てて行きたいと思います。

これからもよろしくお願い致します。


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