何もかもが初体験で緊張と疲れで体調を崩し、一緒に行った皆さんに迷惑をかけてしまい、自分の弱さを実感した旅行でもありました。でもこの屈辱がよいバ ネになったと思います。

初めて飛行機、初めての海外(95年2月3日〜2月9日)

旅行者 麸澤 孝(施設入居者)高橋 正彦(清瀬療護園職員)
    松井 和子(神経科学研究所)寺島 哲(大学生)

 2月3日〜2月9日まで、フィリピン・ルセナ市にあります「グリーンライフ研究所(GLIP)」(日本人障害者の家)に行って来ました。

 私にとって、初めての飛行機、初めての海外旅行で、成田空港から約4時間、真冬の日本から、急に30度くらいあるフィリピンへ行くのは少々無謀で、私自身、体調を崩し一緒に行った人たちに迷惑をかけてしまうことが一番の心配でしたが、頚髄損傷者独特の熱がこもる発熱があったくらいでした。私を含め、計4人、障害を持っているのは私だけで、療護施設の職員の高橋さんと英語のできる松井先生が同行したのでとても心強かったです。


  【2月3日】

 海外旅行に行った友人から「車椅子の障害者の場合、成田空港までのアクセスの方が問題」と聞いていましたが、本当に大変で、東京・清瀬まで車で行き、池袋まで西武線、空港までJR(成田エキスプレス)で行きましたが、ホームと車両の間の段差や長い階段があり、成田エキスプレスにあってはなんと!シートとシートの通路が狭く、車椅子のハンドリムが当たってしまい車両の中まで入れず、やむなくデッキの所で寒い思いをしてしまいました。後で聞くと車椅子専用車両(車椅子用トイレ付)があるそうです。勉強不足でした・・・。

 成田空港に14:30ごろ到着。まず、空港に入るためのセキュリティーチェック、パスポートを提示し、いざ空港内へ。金曜日のせいか、大きな荷物を乗せたカートと旅行者で、車椅子で動くのも困難なくらいでしたが、これが普通だということでした。まず、航空券のチェックの後、機内に持ち込まない着替えなどの荷物をあずけ、出国手続きへ、皆さん並んでいる横を空港職員が車椅子を押してくれ、あっという間に出発ゲートに。思ったより荷物のチェックやボディーチェックも簡単で、それでも出発2時間前にはチェック・インを受ける必要があるようです。空港内はエレベーターやスロープがあり、さすがに日本の空の玄関。(当たり前か!?)

 20分くらい待った後、いよいよ搭乗開始。一般客の搭乗前に航空会社の機内用車椅子にのりかえ搭乗するのですが、それが車椅子というより簡単な椅子にキャスターが付いたもので、座位バランスのとれない私は大変でした。もう少しいろいろな障害をもった人が利用するのですから・・・と、思いました。

 座席にロホークッションをひき、トランスファー。この辺は、航空会社の方が手伝ってくれ、往復エコノミークラスの予定でしたが、空席があるということで4人ともワールドビジネスクラスに変更してくれた。(私の身体障害のおかげ?) 
ノースウエスト航空 005便 マニラ行  18:00離陸

 まさか自分が飛行機で海外旅行なんて!!・・・ 窓から見る夜景が信じられなく思い、他の人から見れば、たかが海外旅行かもしれませんが、私にとっては何もかも初体験で、朝からの緊張も最高に達していました。さすがに、ワールドビジネスクラス。シートも広いし、足も伸ばせるし、機内食は豪華だし、スチュワーデスさんは優しく声かけてくれるし(意味が分からなかったが・・・・)ただ、機内が寒いのと、エンジン音が思ったより大きく感じました。
          

  21:40 ほぼ定刻どうりマニラ国際空港到着。やはり一般客が降りた後に、航空会社の車椅子に乗り、最後に空港内へ。すでに私の車椅子が準備されていました。機内で配られた入国カードに記入し、提出。やはり、フィリピン。とても暑くトレーナーを脱いだ。空港の外に出ると、とても賑やかで深夜というのに5・6歳の子供達もたくさんいて、これがフィリピンなのか!という感じでした。 ルセナから向かいに来て下さった嶋田さん(電動車イス使用)に無事に接触。自家製スロープを持参してくれもらい、バンタイプの車に乗り大渋滞を抜け片側5車線のハイウエーにのる。夜でしたので景色がわからなかったが、マニラを離れるにつれ、対向車も少なくなり路面の凸凹が多くなる。ハイウエーを約1時間程走り、一般道を約2時間くらい走る。かなりのスピードで走っているがその横を、日本製の長距離バスが追い越していく。対向車が来ても、カーブでもおかまいなし。この国ではこれが当たり前で、この流れに乗れないとかえって危険だそうだ。小さな街をいくつか抜け、やっと目的のGLIPに到着。すでに時計は深夜、2:00を回ってい た。簡単な紹介の後、6日間お世話になる部屋に入り、その日はすぐに休んだ。


  【2月4日】


 この日は、前日の疲れもあり10:30頃起き、遅い朝食をとる。改めてGLIPの設立者の向坊さん(電動車イス使用)と対面し、嶋田さん夫妻、そして今回、私の介助をしてくれる、マヴックとマリサと紹介してもらう。彼女たちは、助産婦学校を卒業した19歳で12月から向坊さんのアテンダント(有償介助者)しているそうだ。主にマヴックが私を介助してくれる。フィリピンはタガログ語を話すが、小学校から英語を勉強するため、子供でも英語で会話できる。英語を話せない私が、どこまで彼女たちの介助を受けられるか? 出発前から心配だったが、これが結構わかるもので、同行した高橋さんが一度見本を見せると、次からはなんとかできる。それでいて手を出さなくても良いところは手を出さない。本当にやりやすかった。私も知っている限りの単語を並べ、彼女たちと会話ができるとすごく嬉しくて、彼女たちも喜んでくれた。


         


  午後から、ジープニー(ジープの荷台を長くしてシートをつけたような簡易バス)にスロープを付け車椅子ごと乗り込み、ルセナ市内の繁華街に買い物に出かけた。まず、両替所で円をペソ(フィリピンの通貨単位:1ペソ約4円)に変えてもらう。フィリピンの物価の感覚になれず、私たちの感覚だととても安いが、フィリピンの人たちには大変高価な物がたくさんある。一日の労働賃金が約350〜400円、家が一戸約200万円、ビールが一本36円だ。ちなみに日本製の車をフィリピンに輸入すると2倍以上の税金がかかるそうだ。そのため、20年以上昔の日本車が、現役で走っているかと思うとピカピカのパジェロ(600万円以上)も走っている。とにかく自家用車をもてる家庭はとても裕福な家ということだ。街の中はとても賑やかで、歩行者天国の中をジープニーやトライシクル(屋根付きサイドカー)が走っているようで、交差点でも信号もなく、それでいて事故もなく日本では考えられない。市場のような狭いところを、車椅子で入っていくと、食品はもちろん、雑貨、衣類、電気製品、雑誌、ビデオレンタル、などなんでもある。お金を取 ってファミコンをさせるゲームセンターまであった。
 私が車椅子で人混みを行くと、フィリピンの人たちは立ち止まりじっと見ている。そして私の車椅子を押しているマヴックに話しかけ、知り合いでもないのに会話がはずむ。段差でひっかかるとすぐ手伝ってくれる。日本とは全く逆だ。
 
 夕方、GLIPにもどり、マヴックとマリサが作った夕飯を食べる。出発前、好き嫌いの多い私は、食事に関しても心配していましたが、苦手な物もあったものの、卵や鳥肉は新鮮なためか特に美味しく、日本食とあまり変わらない感じがしました。
 部屋に入る前も、向坊さんや嶋田さんのフィリピンでの日常生活を聞くことができ、改めて皆さんの素晴らしさを実感した。
 夜は毛布一枚くらいで良く、雨もスコールで、日本のような蒸し暑さはなく、扇風機もいらなかった。


 【2月5日】

 この日は、朝から快晴で海水浴日和。GLIPから、ジープニーに車椅子3台、それに10人を乗せ、約1.5時間くらい。これがまたすごい道路で、未舗装あり、凸凹ありで、ジープニーの足回りのせいもあり、海に着くと首が疲れて持ち上がらない状態だった。


        


  やはり、日本の湘南あたりの海とは違い、ココナッツやパパイヤの木などあり、砂も海もきれいで南国ムードいっぱい。さすがに暑くて、日陰でリクライニングを倒し休むが、疲れもあったせいか、受傷当時経験したような体の熱さが、結構つらかった。お昼は、昨日ルセナで買った肉を浜辺で焼いてバーベキュー。私は食欲がなく食べられなかった(あぁ今でも心残り・・・)午後、体調が少々回復したので、波打ち際まで行ってみんなで記念撮影。受傷以来、海は何度も行ったけど車椅子が濡れるくらい近くに行った初めてで、小さな事ですがフィリピンの海で経験できるなんて大感激でした。
 14:30 また、ジープニーに揺られてルセナに向かう。先程までの熱さから一転、今度は寒くなりGLIPに戻りすぐ横になる。寒気の時は熱が出ることは分かっているので、水分を多く取り毛布をかぶり、熱を出し切るまで休む。頚髄損傷者には良くあることでもあり、ある程度覚悟してきたことだが、ここはフィリピン。少々神経質になっていたかもしれない。熱も38度まで上がったものの寒気のおさまると同時に平熱になり、一時的なものでひとまず安心した。


  【2月6日】

 この日は、昨日の発熱もあり膀胱洗浄の後、尻休めもかねて休憩日とした。
 今回、フィリピンに来ることで3つの注意点があった。まず、気候の変化による発熱、仙骨部の皮膚の薄いところがむけて褥瘡(床ずれ)の再発、そしてカテーテルが詰まり尿が流れなくなること。自分では“暑さに強い頚損”と思っていたのだが、約20度の気温差には勝てなかった。でも褥瘡の方は体位交換もせず(背中に枕を入れた)夜も良く眠れた。一番心配だったのがカテーテルで、これが詰まると病院でカテーテル交換しないとどうにもならない。膀胱洗浄セットも4組持ったが、この時の洗浄だけで間にあった。
 昨日、発熱しなくても休養日を一日もうけようと思っていたので、良い休みが取れ、高橋さんや松井先生は向坊さん経営の農場に行ったり、街に買い物に行っている間、嶋田さんの奥様やマヴック、マリサと楽しく話ができ、私の家族のこと、受傷時のこと、カーサ・ミナノのことを話した(私は理解してもらったと思っているが!?)
 夕方、GLIPの近所に住む薄(ススキ)さん宅へ招待され、みんなでおじゃました。GILPから徒歩で10分くらいの所に住む高松さんも来て、嶋田さん向坊さんと、5人の障害を持った人たちが集まった。薄さんも高松さんも嶋田さんと同じように障害をもっているが、フィリピンの女性と結婚し家庭を持っている。日本の障害者のいる家族とは違う雰囲気で、なんだか気楽な感じがした。みんなビールを飲んで盛り上がり、とても温かいもてなしを受け、私にとってはいろいろな意味での大先輩の話を聞くことができた。東京などで開かれる、障害者団体の集まりなどで聞く話とはまた違った内容で、時間を忘れるくらい楽しく、今から思うと私のこれからの生き方を変える話だったかもしれない。その日は何だか良く眠れず、私の今の生活が良い方向に向いているのか心配にもなった。


          

    【2月7日】

 GLIPでの生活も最後の日となり、ルセナからジープニーで2時間くらいの所にある、博物館あり、プールあり、レストランありの広大な高級リゾート地へ連れていってもらった。見学のみで275ペソという高額で、ここは庶民というより、海外からの観光客のための施設らしく、フィリピン人以外の人たちも目立ち、博物館も宗教的なものが多くて良くわからなかったが、世界中の昆虫や獣のはくせいから民族衣装までたくさんのものがあった。フィリピンの人たちからすると4日分もの労働賃金にも値する所で、マヴックとマリサも入園したことないと言っていた。今回のアテンダントのお礼として、私が2人の入園料をプレゼントした。園内はとても広く1日では回りきれないくらいで、時間があっという間に過ぎた。


         
 
 GLIPに着くとすでに暗くなっており、GILPでの最後の夕食を食べながら別れを惜しんだ。少々バテ気味の皆さんに較べ、前半の緊張から来た疲れも落ちつき“もう少しフィリピンにいてもいいかなぁ”なんて思いつつ、トランスファーをした。


 【2月8日】

 初めは“少し長いかなぁ”と思った旅行も最後の日となり、7:00にマニラに向けて出発。向坊さんを始め、皆さんとても良い方で別れがつらかった。
 今回の旅行で、色々な事が勉強になった。パスポートの申請からフィリピンの物価まで、そして自分の語学力のなさ、体力のなさも実感した。語学は勉強すれば良いのだが、体力はそうはいかない。私の今の障害からではしかたないのかもしれないが、せめて同行した人たちに迷惑をかけないくらいにはなりたい。ルセナに来るときは、夜で景色が見えなかったが、広大な田園、農場があり、町に人が多いのも目立った。マニラに近づくと道幅も広く車も多くなり、ルセナではジープニーが多かったが、マニラでは乗用車タイプのタクシーが多く感じた。

 マニラ市内は「メトロマニラ」と言われるほど大都市で、高層マンションやオフィスビル、ホテルなど、まるで東京都心を走っているかようだ。エアコンがないので窓を開けていると、車の排気ガスで空気が悪いのと、クラクションなど騒音がものすごい。
今回の旅行の、みやげ購入と昼食をかね、エスエム・メガモールという巨大なデパートい立ち寄った。そこは5階建てくらいだが、横に400mくらいあり、映画館、スケートリンクもあり、地下街がそっくり地上に出た感じで、ブランド品などの高級品が目立ちガードマンが各入り口に立っていてなんだか物々しい。車椅子の人は見かけませんでしたが、エレベーターには“車椅子優先”マークがあり、トイレも“障害者用”と分けることなく障害がある人でも使えるようになっていて、想像していたのとだいぶ違っていました。
 疲れや、朝早かったこともあり、市内観光は車内からとした。リサール公園、マニラ大寺院などを見学し、今夜宿泊のホテル「ハイアット リージェンシー・マニラ」に到着。マニラ湾に面した最高の場所で、日本で言えば最高級のホテルですが、ツインで95USドル+税(約1万円)という料金、フィリピンだから泊まれるのだろう。支払いは格好良くカードで済ませた。ホテルの中にはプールあり、フィットネスクラブありで、みやげ物を見ていたら世界一と言われるマニラ湾の夕日を見はぐった(あぁ残念・・・)
 夕食はホテルのレストランで、イタリア料理を食べた。生バンド演奏の中、本格的なワインとピザ(やはり宅配ピザとはちがう)は忘れられない。


  【2月9日】

 最終日。8:50発の飛行機のため、5:00起床。予約しておいたタクシーでホテルを後にする。早朝だというのに、市内は車やバスで相変わらずの大渋滞。
 マニラ国際空港も飛行機の発着ラッシュなのか、たくさんの人で騒然としていて、その中を車椅子ですり抜けカウンターへ。やはりフィリピンからの出国はチェックが厳しい。同じように航空会社の機内用車椅子にのりかえ搭乗。帰りは満席ということで、ビジネスクラスとはいかなかった。
 定刻を少々遅れ、ノースウエスト航空 006便 成田行 離陸

 やはりエコノミークラスだとシートが狭く、リクライニングもわずかしかしなく、頚損者は料金のこともあるがビジネスクラスの方がいいかもしれない。来るときは夜景がきれいだったが、窓から外を見るとたくさんの小さな島々がはっきり見えたり、雲が下に見え、なんだか不思議な気分。機内食を食べた後は、疲れもあったせいか着陸前まで寝てしまった。
 
成田空港に14:10到着。スムーズに出られるかと思ったが、なぜか荷物の乗せ降し用のリフト(車椅子用なのかも?)でいったん外へ出た後、それから改めて空港内へ。入国手続きの後、自分の車椅子や荷物を受け取り“やっと日本に帰ってきた
”て感じ。

 JRも考えたが、寒いし荷物もあるし、レンタカーを借りて帰ることにした。東関東道→首都高→外環道→関越道を飛ばし、途中夕飯を食べた後、カーサ・ミナノに19:00到着。 長いようで短い、初めての海外旅行も終わった。

 11年前、交通事故で頚損者となり、死ぬことしか考えられない時から“生きていて良かった”と思ったのは何度もありましたが、成田空港を離陸した瞬間は、初めて頚損連絡会の総会に参加したとき以来の、私にとって特別な時間でした。今回のフィリピン旅行が、20歳代最後の素晴らしい思い出になったのはもちろんですが、フィリピンという国の考えが100%変わった旅行でもあり、今までの反省や、これから生きていく上での道しるべが見えて来たような気がします。

 最後になりますが、今回の旅行に同行してくれた方を始め、向坊さん、マヴック、マリサ、そしてフィリピンのみなさん、皆様の優しさは一生忘れません。楽しい思い出をありがとうございました。心より感謝申し上げます。