「皆さんに感謝・・・ 〜地域生活10年を振り返る〜」

 19975月、身体障害者療護施設から東京での地域生活を初めて今年で10年がたちました。この10年での大きな出来事といえば、まず入院するような大きな病気やケガをせず過ごせたこと。風邪を引いて発熱で往診してもらったことやハワイに行って褥瘡を作って数ヶ月ベッドで過ごした事など、入院寸前はありましたが何とか乗り越えてきました。これについては、自己管理というより日常の介護者や訪問看護のおかげと感謝の気持ちでいっぱいです。(でもその分?15kgくらい太りましたけど・・・)

その次は有限会社を立ち上げたこと。同時に基準該当居宅支援事業所を始めヘルパーの雇用主になりました。支援費制度開始当時は介護料単価も高く、金銭的に余裕がありました。しかし障害者自立支援法の出現で単価も下がり、介護者を見つけるにも非常に苦労し、これから先に不安を感じています。

そして、旅行や地元での活動、頸髄損傷者連絡会・はがき通信・リハビリテーション工学等々に積極的に参加活動できたこと。そしてその中で多くの方と知り合い、交流し時間を共有できたことは本当に自分にとって「宝」であり、毎日生活する活力に代わるものだと思います。

もちろん、この10年はすべてが順風満帆ではありません。生活の中で一番難しいのはやはり「介護者との関係」です。採用面接をするのですが、実際に介護に入ってみるとまったく面接時の会話とは違い、仕事(介護)にならない方もしばしば、直前のドタキャンや遅刻などは想定していないと生活できません。平成15年からは介護に入るのに資格が必要になり、介護者が辞めないよう、ひとりの介護者に出来るだけ長く続けてもらえるような対応も気にしなくてはいけません。

重度な障害者でも地域で暮らすことが当たり前になる10年前、C4レベルの頸髄損傷者がひとり暮らしをすることに、療護施設の職員は鼻で笑いました。しかし今では人工呼吸器が必要な最重度な方でも地域で暮らすことが可能になっています。一方では、地方の療護施設で管理された生活・プライバシーのない生活にストレスをためている方も多いと聞いています。福祉サービスの格差、情報の格差、リハビリテーションの格差、そして頸髄損傷者等の自立や生活を支援するセラピストの格差も一層増えていると思います。

これからの1020年、私達や「はがき通信」は重度な障害があっても、地域でいきいきと人間らしい生活を送ることが可能であることを証明し続けるのが役割でもあると思います。

数年前から、大学や専門学校等で講演することが増えました。その中で受ける質問に「麸澤さんの目標はなんですか?」と聞かれます。私は「今の生活を続けることです。」「今が楽しいからです。」と答えます。あるC4レベルの頸髄損傷者が25年以上前、マレ−シアで講演された時の締めの言葉に「障害者は、いつかこのようにいえる日を心に期しているべきです。“もし私が障害をもっていなかったら、果たして、ここまでやってこられたであろうか?”と。」との言葉があり、私はこの言葉が大好きで、その頸髄損傷者の方を大変尊敬しています。これが本当の意味での現実となるようもっと努力していきたいと思います。

最後に、私の生活を支えてくれるすべての方々に感謝しています。そしてこれからもよろしくお願い致します。